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斎藤先生の言葉
タイトル

幸せとは?


 人は 今よりも人間関係が楽になることを 幸せ と感じる
コメント  幸せって何だろうってよくテーマになるけど 今が幸せじゃない人は 人間関係に どっかしら 生きづらさを感じているのかもしれない。親、兄弟、恋人、上司、社会全体になど・・・

別れのとき、恋人は、幸せになってね。っとはいうけど それって 自分との関係は もう限界。逃げるために、相手との関係を切ろうとするんだなあ。あと、結婚して幸せになります!宣言する人は、結婚することで 社会のストレスから 解放され 一生のパートナーと出会え、癒し癒されることを期待しすぎてるって意味なのか・・・
タイトル

愛とは何か?

  毎日が 退屈 暇 虚しい と 感じる人は・・・
  誰とも恋愛が うまくいかない人は・・・

 他人の愛とは 条件付きの愛(give and take)

 親子の愛は 無償の愛( 師弟愛もこの部類 )

↑の違いが はっきり理解できている人は少ないのではないか? 愛情ばかり他人に求める人は 親から受けるべき無償の愛情をうけず( 緊張状態で育った人:アダルトチルドレンの可能性が高い)に育ち、いわゆる優等生に多い。無意識のうちに親の期待に答えよう、親に迷惑をかけてはいけないと子供のころ感じとって育つため、大人になって 対等な人間関係がつくりにくい。
 
コメント この講義でわかったこと、これからの夢、自分にしかできないこと。そんなことを考えているうち、今なら一人でも 生きていける勇気がもてるような気がした。 今までは 一人がさみしいから 恋愛に走ったり 遊び人についていったり さみしさを まぎらわせる生き方をしてたっけ。それは それで よかったとおもう。でも、それって 結局相手を甘やかせるだけで 愛情ではない。 本当の愛情は 私自身が受けたかった、親からの無条件の愛。 最近 不器用な父は それなりに愛してくれているんだって思えるようになった。 母親には 無意識に いい子でいなさい! でないと 愛さないよ! というメッセージを 祖母からも ダブルで受けていて 期待に答える生き方に 行き詰まり 教師になろうとし、私は 常に優等生だった。 東京にきて はめはずして おもいっきり 遊んで、夜のバイトして やりたいことは やって 納得した。 そして みえてきたものは、どんなことをしていても 私は 私、 自分では わからなかったパワーがあって まわりの人に迷惑かけてるだけじゃなく 私から 癒されるっていって必要だと言ってくれる他人がいる、なんて 感謝したらいいか わからないけど。 自分の存在の意味、いつ 死んでもいいやって 投げやりな人生を送ってた 自分の甘えに反省しつつ、これからは みんなに何が してあげれるのか 考えながら 生きていこう。


心に残ったのは、親の無償の愛が 得られなかった人(Ac)が 配偶者にそれを求めるけど 無理な注文だから いづれ断念することになる その現実は 荒涼として さみしいものだけど 受け入れていくのが大人・・・
 
恋愛って 時に相手に求めすぎるよね それって愛じゃない 子供時代のトラウマから 愛情飢餓になってて 欲求不満を生むんだろうね わかってたら もっとお互い楽になれるのにね 一緒にいないとき 不安でしかたなかった時期って 親からの愛情を 彼に求めてしまって 得られないから絶望してたんだなあ〜 あと 自己分析の中で 私は退行催眠療法で 自分の顔かたちが嫌いという 醜形恐怖であるとわかった 芸能人にあこがれるのもそのせい 本当に幸せになるには 変わらないものへのあきらめ(断念)が必要で、そういう自分を愛せるようになったとき だって・・・
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依存症とは?


・過食(食べ物に依存)が とまった人は なおっているが 社会復帰が怖いため  症状が戻ることがある

・出会いがあれば 別れがある ← 何かを失うこと 喪失に弱い人がひきこもりになりやすい

・アディクション(依存しているもの)は それがないとき、頭の中で空想しているも ので、幻想である。実際は 物足りなく感じてしまい 果てしなく求めてしまう(例: おかなすいたとき 想像する大好物は さも おいしく想うが  実際 食べると  いつもと同じ、アレ? 想ったより おいしくない。じゃ違うもの 食べたほうがよかった・・・の繰り返し。いつまでも 現実を受け入れられない)

・理想の子供像を押し付けられ エリート主義だけでなく 親の価値観のおしつけこそが 子供の自由を奪っている。もし 親の考え方に 疑問すら覚えないなら まだ 精神的に15歳くらい。反抗期は その自分らしさを探すために必要なもの。
 
コメント この世の中で タバコ ギャンブル、特に病気って言われないものに みんな依存して生きているんだな〜ってしみじみ想った。
そのひとつに 恋愛依存。次々に相手をかえ、恋愛していく人も実は病気だったのだ〜。 病気だとか 診断名つけたら この世の人みんななんらかの 心の病気の診断名がつく。だけど それがうまく処理できるひと、不器用なひと それだけだ。
だから 障害者への健常者の差別や 心の病気に偏見をもち 健康でなくてはならないとか、健全な体に健全な魂が宿るといった 昔の考えは古いとおもう、差別用語だとおもう。だって三浦綾子さんは あんなにも 苦しい激痛に耐えながら 夫の毎日のマッサージによって 小説を書き、多くの人から相談の手紙をもらうようになり、みんなの心の支えになった 生き証人なのだから。。。病床にいても 魂はくさったりしない!!
タイトル

愛とは?第2章

愛とは与えてはじめて満たされる
求めるものではなく・・・
求めるということは むさぼるだけで 結局欲求不満になり・・・満たされない

愛を与えること 何か無償のもの、何かしてあげたい そういう気持ちが
やさしい気持ち しあわせ感を得る

 男女関係は3ヶ月 半年まではいいけど2年が限界らしい
生物学的。なんかの雑誌には4年ってあった・・
 お互いの意思と環境を 変えたり 努力で埋まるから人間は 惚れ直す作業が必要。 自然のままだと終わっちゃうって人間が動物だという証拠、 誰も将来の気持ちなんてわからない。
コメント

講義が 男女の愛についてだった。
感情っていうのは 自分でコントロールできないもの
わいてくるものだから・・・でも その感情の湧き方が自分なりに あ〜こういうとき こういう気分になるんだなって 大体予測がつくように なってきて 子供のように つっぱしった行動にでず、自分の中で うまく 処理し、他人には 想ったことを全部言うのではなく! きちんと整理して 冷静になるまで自分を待つのが 大人だと想う。

以前20のころ つきあってた人は 正直なのが美徳だといいはり、平気で 私の聞きたくないようなことまで 言ってた。でも それは 聞いた本人が どんな気持ちになるか 全然考えてない思いやりのない 余裕のない子供だった。 私も そんな感情で生きている彼に いちいち ふりまわされ 心身ともに疲れていった。 本当は 待っていてあげたら あのとき私が大人だったら もっと違う関係になっていたかもしれない。 今日は好きだけど 明日はわかんないよ なんて 正直に言われて つきあっていても孤独。不安でいっぱいの日々。。。その人の向上心が好きで ずっと離れなかった 結婚したかった 。。。その彼も婚約指輪(当時のバイト代すべてかけて7万くらいしたダイヤ)をくれて、私に絶大な信頼を寄せてくれてるのがわかってた。いつか 結婚しようとも言ってた。。。懐かしいな。

今は・・・・こういうのが 理想です。
 ‘美しい結婚’
その中で 心に残った文章を記録します

「あまりに 急いで人を評価してはいけないと、わたしは思う。わたしたちは 自分自身すら、なかなか知ることができないのだ。まして他の人を、どうして一度や二度会っただけで知ることができるだろう。ゆっくり時間をかけてつきあうということは、非常にたいせつなことなのだ」

「いつか憎まなければならないように愛しなさい。いつか愛さなければならないように憎みなさい。ということわざがある。わたしたちは 人と付き合うとき、自分の心が、そのように定かではないことを知っていて、つきあわなければならない。」

「孤独が恐ろしかったら、結婚するな、この鋭い警句を吐いたのは、たしかロシア文学者チェホフではなかったろうか。」

「この言葉には、結婚はお前たちの期待しているような甘い世界ではないと、いきなり氷の刃を突きつけてくるような、厳しさとさびしさを持っているといえよう」

「だから、自分を見ても、他の人を見ても、神に似た人間などはどこにもいない。 どんなに自惚れの強い人間であっても、自分を神のように気高く、清く、愛に満ちていると思うことはけっしてできないはずである」

「わたしたち人間の心の中には、恐るべき思いが絶えずうごめいている。わたしたちは、いつ人を出し抜き、けおとすか、いつウソをいい、人を裏切るか、いつ盗みを働き、はたまた殺人を犯すか、予測できない存在なのではないだろうか。」

「この、何をしでかすか、わからぬ人間同士が結婚するのだ」

「聖書にはつづいて、それで、人はその父と母を離れて、妻を結び合い、一体となるのである。人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。と書いてある。わたしは、この裸であっても恥ずかしいと思わなかったというところに、注目したいのだ。裸であっても恥ずかしくないというのは、みせかけだけの格好のよさ、すなわち虚栄を棄てた、深い信頼と安らぎなのだ。」

「この世に唯一人、本当にすべてを許し合える異性がいるということは、やはり限りなく尊く、すばらしいことである。」

「家庭とは、愛を学ぶ学校である」

「本当に愛するということは 愛するに値しない人間を愛することなのだ」

「愛するに値する人間を愛するのは、それはもう、愛とはいえないもっと別な、何か功利的なものではないかとも思う。人間は本来、誰しも欠点もあれば、みにくさもある。また、同じ屋根の下に住んでいて、耐えられないような癖もある。だから、間違っても、わたしを愛するのは当然だ、などとは、思えないはずなのだ。」

「牧師は、夫たる者よ、健やかなる時も、病める時も、・・・と、お互いを愛することを誓わせた。これを、単に健康であるときと病気であるときだけと判断するのは当たらない。順境の時も、逆境の時も、あなたは相手を愛するかであり、更に 相手が真実にあいしてくれる時も、不貞な時も愛するかであり、好きな時も、きらいな時も愛するかという問いなのだ。」

「つまり愛するとは、好き、ということとはちがうのである」

「契るとは契約の契である。男と女が契るとは、契約することなのだ。約束することなのだ。契約した以上は違反はしりぞけなければならない。」

「契約を真実に守るというお互いの人格を信じて、はじめて結婚は成立するはずなのだ。つまり、これが人格を尊ぶということなのだ。信じられない相手と、わたしたちは約束することはできないはずなのだから。」

「この約束を守ろうとするところに、真実な家庭は形成される。」

「聖書の有名な愛の章には、次のように書いてある。愛は寛容であり、愛は情深い。また、妬むことをしない。愛は高ぶらない。誇らない。無作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みを抱かない。不義を喜ばないで、真理を喜ぶ。そして すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」

「自分の愛の深さをテストするには、この個所を読んでみることである。愛は、というところに、わたしは、という言葉をあてはめて読んでみるといい。愛するとはいかに大変かがよくわかる。ここにはもはや、好き、などという、常に変りやすい感情とは、全く違った世界がある。」

「一生かけて、愛することを学んで行くのが、夫婦の生活なのだ。」

「夫婦は一生かかって真の夫婦になるのだ」

「誰が選んだのでもない、自分が選んだ道なのだ、という自主性と気概を持って、自分の結婚生活に立ち向かいたい。親の離婚によって、痛手をこうむらない子供はいないはずなのだ。」
タイトル

鬱になるという状態について


鬱っていうのは 自己愛の肥大であって 他のものに 関心をもてば 治る
 関心をもつ イコール 愛情のはじまり
コメント そういえば 今の彼は 私のHPの日記 古いのから 全部読んだよって
メールくれたのが 心に残って つきあうことにしたんだっけ・・・
自分に 関心をもってもらえることが どんなに ありがたいか、愛のはじまりなんだって講義で聞いてたからかな? 
タイトル

現代社会の少子化について


少子化がもたらす影響について・・・
最近の大人がパラサイト化してるのは 大人の親がきちんと社会に向き合ってこなかったから
大人の問題は子供の問題として現れている
ベビーブーム時代にやみくもに働いてきた世代の子供がアダルトチルドレンになっている
社会=異性と同じで、人はある時期を越えると 異性に向き合おうとする
逃げている人はきちんと 異性にも社会にも調和していけない
なぜなら 異性は自分とは異質なものだから その異性の考え方や感じ方を知るということは コミニケーションの基本となる 自分の欲望だけぶつけていたら 異性ともうまくいかないし 社会にもなじめない
社会参加も同じで、社会の仕組みをしり、自分がその中で何ができるのか考えることが基本である

 
コメント 納得ww・・異性に向き合う勇気のない人って結構いるもん
自分の欲望だけぶつけて 異性の気持ち考えない人って社会にも適応してないんだよね  
タイトル

人はなぜ家族をもつのか、
どういう風に配偶者を選ぶのか 
 
コメント ・「義務感でつながる家族のなかで妻が夫からの愛情が得られないために、 エネルギーをこどものほうにむけてしまう。母親が教育ママになったりこどもと密着しているために、こどもが大きくなっても外に出て行って人間関係を築かず、家にとどまって母親とべったりしている、という母親とこどもカプセルの中にいるような関係」

← これがわたしの家かも 父はマイペースすぎて何かものたりない 愛情表現が下手で仕事人間だし・・いや ほんとは 母がさみしい人だっただけかもしれない 母は父を知らず育ったから  男の人から愛される経験がなくって満たされなかったんだろうなあ・・・


・「ナルシストは 自分が偉いと想いこみ、自分勝手で相手への配慮が欠け ・・」 「ナルシストは本当はすごく弱い、面と向かうと逃げてしまう」 

← これこれ!! いつものわたしの好きになる人のパターン Σ(= ̄ェ  ̄lll=) 


・「愛しすぎる女たち・・・共依存症(自分のことより他人の世話に夢中になって、それにとりつかれてしまっている)のひとたちは相手の問題を自分のものとして責任をとってしまうので、ますます相手を無責任にしてしまいます 。自分のこころの痛みがあるにもかかわらず、相手を解放してやったり・・・ 多くの場合、育った家庭に何らかの機能の不全があります」 

← (=/T ェ  T=)/あうぅ アタシジャン


・「機能不全な家庭で育った人たちをAC、アダルトチルドレンと呼びます。このような人たちは自分の現実を否定されたり、愛をもらえなかったりしたために見捨てられ不安にかられており、自分の中の空洞を、愛を与える人に なることによって満たそうとします。・・そこに心が存在しない精神的に留守の人、つまり自分の必要なものをみたしてくれないような問題のある人に  惹かれてしまいがちです。」

 ← あたってる ε-(= ̄ ェ  ̄=)┌ ダミダコリャ・・

タイトル

まとめ&
アダルトチルドレンに関して


愛とは関心をもつこと。その人のことが知りたいと想う気持ち。
ふつうに生きていれば いつのまにやら 寄りそう相手がでてくるもの・・・・縁がないという人は自分で怖がって縁を切っている・・・・
男と女、人間関係において、ウソはつきものである 仮装舞踏会のようなもの だけどルールのないマスクはゆるいほうが楽 インナーチャイルド同士で うそのないつきあいなんてできない 子供同士はひっかきあいになるだけ 人は大人らしくそれらしくふるまうことができる 

人生は楽しもうと思えばいくらでも楽しめる そういう おもしろさを発見する能力が乏しいとうつ病というものを利用するようになる 毎日が憂鬱な人は 憂鬱でいいじゃん 毎日 憂鬱おめでとう 今日も元気に 快食快便なんていうほうがおかしいのかも

カウンセラーだからといって 人の感情をコントロールすることはできない ただ不愉快にすることはできる 知らない人に バーカ といいながら歩く・・・みたいな (笑)

女は・・・ときに 子供のままでいられる おしゃべりが多い 男の人を意識し始めると綺麗になる、男の前で女らしくなる
男は・・・負けてはいけないと課してしまう 野蛮であることを尊ぶ傾向がある
女の殺人事件は身近な人が多いが、男の場合は他人を殺すことが多い

俳句にわざわざルールがあるように 表現はやりにくくするといいものができる

マインドリーディング(心の中を読もうとすること)してはいけない 心なんて誰にも読めないものだから
セルフトーク(自分で自分の行動についてあれこれ語ること)はだからダメなんだ・・・という結論に至るので 鬱になる セルフトークの代わりに リアローグ(誰かに話す)対話にしていくといい

アダルトチルドレンといわれているタイプの人について・・・
世の中の 悩むべきことを多く取り入れすぎてしまう 敏感すぎ
人のキャパシティには限度があるのに
その器を大きくするか、出し入れしながら調節しないと処理できない状態にあってる
自分で その器を変えれない場合、他人に大きくしてもらう・・・ようなことが必要

あと、、自分が変わるとき、っていうのは 現状に 心から満足したときだって。
今のままでいいんだって 本気でおもえた瞬間から 人ってかわってくんだ


人が 寂しさ、鬱になるとき、それは 環境の問題が大きい
人は かなしいかな 、他人のために 生きてこそがんばれて、また同時にそのことによって
束縛されるという運命らしい・・・
だから 自由な人、、何も束縛のない人って 鬱になる要素が大きいらしい でも 人はやはり 何かのために・・・生きていくほうが すばらしい
自分がこの世で どっかへ行っても、たとえば バリ島で 事故にあってもヒマラヤで遭難しても 誰にもたいした影響はなく そのときだけの 同情しかないって環境より、ママ〜〜って泣いてくれる子供のいる人のほうが幸せだって・・・


アダルトチルドレンに多い依存症は必要なくなると自然となくなるもの
人間関係において依存する人、される人が共依存関係になるのだが、そういう対象がいなくなると(母であることが多い)何かへの依存を必要としてしまう(お酒、買い物、恋愛,、仕事など)

おもしろいのは そういうアディクションは他の問題が安定したときでやすい
幼児期に緊張状態の中で育つと目にみえない暴力をうけているようなもので 本当の自分の欲求に鈍感になる